居場所なんてない
前にも進めず引き返すこともできない。
左右には善人面した悪党がはびこり、保身のために平気で手のひらをかえて裏切っていく。
上に登る勇気も下で地獄から這い上がる気力もない。
もはや八方塞がりで自分を救える自信はない。
どうしたって同じ場所に帰ってきてしまう。
どうでもいい会話
天気の話…どうでもいい。
無理矢理、会話したくないから喋りたくないけど適当に合わせてるのもストレス。
あぁ、もはや人間とのコミュニケーションすら鬱陶しい。
自分が居心地いいから動きたくないんでしょ?
結局気に入ってるじゃん、その職場。
自分の行動と選択肢に責任もてよ。理想と違っても文句言うな!
誰に
相談したらいい?
誰かにわかってほしい。でも相手がいないし、探す気力もない。
わたしはどこまで走り続ければいい?
結局一人で解決するんだね。
限界が近い……。
無理矢理、模索する日々
ショッピングに行った。
特に何も欲しくないから、ケーキだけ買って帰った。
別にケーキを食べたい気分ではない。
「じゃあ何で買うのか?本当は食べたかったのでは?」という野次が必ず飛ぶ。
確かにケーキはわたしの中で甘くておいしいし、血糖値を瞬時に上げてくれる。
だからと言って今日食べたい気分ではなかった。
ただ何か買わないとせっかくの休日を台無しにしたような無駄にしたような、もったいない気持ちに駆られるからだ。
無理矢理、買わされているようなストレス…。
このストレスの元を根絶すべく、画策する毎日。
それすらもストレス。
救われない毎日にうんざりするし、1日をどうやり過ごそうか考えるのに疲れてしまった。
ネガティブでもポジティブでも疲れてる。
全てがくだらない。終わりにしたい、この人生。
語彙力
あれば表現力が豊かになり、コミュニケーション力も上がる。
残念ながら、高卒認定程度のわたしの語彙力はたかが知れている。
かといって専門用語や日常会話で使われないであろう言葉を、さも知識豊富だと言わんばかりに喋っている奴らも自分の方が格上だと見下しているようで気分が悪い。
最も人間嫌いのわたしにとっては、語彙力はあってもなくてもどうでもいいものになりつつある。
人間嫌いといいつつも、わたし自身人間であり誰かと関わりたいと思う日もある。
悲しいかな、人間との関わりを維持するための努力と好き勝手やって孤独とを天秤にかけた場合、後者の方が圧倒的に勝ってしまう。
愛し愛されることを放棄するかわりに、自分勝手に生きさせてもらう。
最近よく思うのはロボットがいればそれでいい。
わたしに忠実な執事のように、時に親友、時に恋人のように自分好みにカスタマイズできるロボットを置いておきたい。
それが現実になる頃、わたしは何歳になっているのだろう。
いや、何歳でもいい。抽象的な精神の世界に生きているわたしにとってはこの世界は退屈であり、生きづらい世の中なのだ。
それを甘えで逃げていると捉える人々もいるだろう。思考の自由であり、捉え方によって変化するものだから感じたままに読み取ってくれればいい。