語彙力
あれば表現力が豊かになり、コミュニケーション力も上がる。
残念ながら、高卒認定程度のわたしの語彙力はたかが知れている。
かといって専門用語や日常会話で使われないであろう言葉を、さも知識豊富だと言わんばかりに喋っている奴らも自分の方が格上だと見下しているようで気分が悪い。
最も人間嫌いのわたしにとっては、語彙力はあってもなくてもどうでもいいものになりつつある。
人間嫌いといいつつも、わたし自身人間であり誰かと関わりたいと思う日もある。
悲しいかな、人間との関わりを維持するための努力と好き勝手やって孤独とを天秤にかけた場合、後者の方が圧倒的に勝ってしまう。
愛し愛されることを放棄するかわりに、自分勝手に生きさせてもらう。
最近よく思うのはロボットがいればそれでいい。
わたしに忠実な執事のように、時に親友、時に恋人のように自分好みにカスタマイズできるロボットを置いておきたい。
それが現実になる頃、わたしは何歳になっているのだろう。
いや、何歳でもいい。抽象的な精神の世界に生きているわたしにとってはこの世界は退屈であり、生きづらい世の中なのだ。
それを甘えで逃げていると捉える人々もいるだろう。思考の自由であり、捉え方によって変化するものだから感じたままに読み取ってくれればいい。